【くつや橋】3つの広場を繋ぐ旧市街最大の橋

観光スポット

くつや橋は中世のリュブリャナで大事な場所であったNovi Trg(新広場)とStari Trg(旧広場)をつなぐ橋です。幅が広いので、夏はアーティストの路上パフォーマンスがあったり、お店が開かれたり、また街の中心を流れるリュブリャニッツァ川の綺麗な写真が撮れるフォトスポットなので、まあ人が多い橋です。今もリュブリャナの大事な場所をつなぐ橋です。

くつや橋は、すでに中世から同じ場所に立てられていました。それは橋の両端にはる主要広場や街の中心部、そしてリュブリャナ城に続く丘へも繋がる道を作っていたので、大事なモニュメントでした。

最初は肉や橋でした

もともとくつや橋は、別名肉屋橋で、最初は橋の上にはお肉屋さんがありました。川の水でお肉を洗浄していたのですが、その水が街の中心部へ流れてしまい、様々な感染症が起きてしまっていたそうです。従って、1614年いまの大聖堂のところへお肉屋さんは移動となりました。その後くつ屋さんが橋の上で働き出したという経緯があります。

刑罰の見学場所だった?!

16世紀には、Stari Trg側にある「トランチョ」というところに街のパン屋さんがありました。そこへパン屋さんが朝焼きたてのパンを持ってきて売りに出すのですが、どうやらパンの値段をインチキすることが多かったらしく、2週間に一回穀物の値段を記載したり、計量を行ってインチキする人をコントロールしていました。

右側がトランチョです。

もし見つかった場合、公衆の面前でさらされます。もし反省しない場合はこのくつや橋からカゴに入れられて川に沈められるという刑罰が与えられました。中には袋に入れられて縁を締められて沈められることもあったそうです。

当時の川は衛生状態が最悪で、夏は悪臭がしたそうですのでこの刑罰がどれほど過酷か想像できますよね。

噂によると、この刑罰は人々の貴重な「娯楽」だったそう。

くつや橋の今

くつ屋さんたちは19世紀に橋の上の営業を禁止され、鋳鉄を使って建て直されました。交通整備も行われ、橋は街の人、アーティスト、そして観光客が集まる場所へと変貌を遂げました。

いまのくつや橋になったのは1931~1932年、リュブリャナが誇る巨匠、ヨージェ・プレチュニクの設計後のことです。

今でも旧市街や広場をつなぐこの橋は観光客や地元の人で賑わいますし、やはり本当に便利なところにある橋だと実感します。綺麗な写真も取れるし、左右から見える川沿いの風景は1年を通して美しいです。

リュブリャナに来たらこの橋を渡らないとそんですよ!

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