近藤常子さん〜スロベニアへ住んだ初めての日本人〜

いまでもあまり知られていない国、スロベニアで私も「どうしてここに?」とよく聞かれます。しかし、もっと前に、今からおよそ100年前に日本人女性がスロベニアの大地を踏み、生涯を終えていたのです。

彼女の名前は、近藤常子。詳しい生い立ちはわかっていませんが、宮大工のお父様の元1893年岐阜県に生まれました。日露戦争の後家族で北京へ移り住み、そこで看護の勉強をし、そこで2番目の夫となるイヴァン・シュクセクさんと出会い結婚し、スロベニアへ渡るのです。最初の結婚はいつかわかっていませんが、ドイツ人のポール・ハインリヒ・シュミットさんとの間に息子マシュー・シュミット(1912−1933)と娘エリカ・シュミット(1914−1958)がいる事がわかっています。

スロベニアでキリスト教の洗礼を受けマリア・スクシェク(Marija Skušek)というスロベニアの名前もあります。スロベニアでは看護師として働き、日本文化の講義を行い、旧ユーゴスラビアと日本の友好関係を築くことに貢献しました。

私が彼女を知るきっかけになったのは、スロベニアの民族博物館にガイドの研修として行ったことがきっかけです。もちろん以前も言ったことがあるのですが、なにせ大きいですし、前は展示にも目がいかなかった気がします(汗)。

民族博物館にて

しかし、自分も日本人女性で家族もいます。すごく惹かれるものがありました。彼女の生涯を見て見ましょう!

アジア博物館設立の夢

スロベニア人の海軍将校イヴァン・スクシェクと出会い民事婚を中国で行なった常子さんは、長旅の末にスロベニアに到着し、1927年、洗礼を受け教会で結婚式をあげます。看護師として働きながら日本文化を伝える活動に従事していきます。彼女は赤十字の看護師としても働き、1962年には表彰もされています。

結婚式の記念写真
ウィキペディアから

イヴァンは中国滞在中に中国や日本の芸術品を手にしていて、それらをスロベニアに運んできました。夫婦の夢として、彼らのコレクションで博物館を持ちたいという夫婦の夢があったのです。イヴァンは妻常子に中国の芸術品について、あらゆる知識を教え、夢実現のために奔走したのですが、様々な障害があったようで、二人が生きている間に叶うことはありませんでした。

今、二人のコレクションはスロベニア民族博物館に保護されております。

大人気だった日本文化の講義

常子はリュブリャナを皮切りに、ツェリエ、イェセニッツェ、マリボルなどスロベニア中で、そしてクロアチアのザグレブやオーストリアのグラッツまでも赴き日本文化の講義を行っています。

テーマは様々でしたが、特に当時の日本社会や日本女性の地位、結婚した後のしきたりを伝えていたようです。彼女は着物を着て講義をしていて、時には日本舞踊や歌を披露していたようで、それも旧ユーゴスラビアの人々に人気の内容だったようです。

また彼女のはラジオ番組にも出演しております!

ラジオ番組に出る常子(写真:ウィキペディア)

最初はドイツ語で講義を行い、次第にスロベニア語へシフトして行きました。民族博物館にその資料が残っているそうで、しっかり話す内容を各言語に丁寧に準備してたようです。中国語やドイツ語がわかる彼女にとっても、スロベニア語は難しかったそうですが、それでも講義ができるまでに上達させます。信じられません!

非常に活動的で、努力ができる、エネルギーに溢れている女性だったことは容易に想像できますが、おそらくそれを全面に押し出すのではなく、日本女性らしく、つまり奥ゆかしく、控えめでありながら内で燃えているものがあったんだろうなと思ってしまいます。その日本らしさもスロベニアの人たちにとっては魅力だったはずです。

彼女は「マダムジャパン」、親しい人からは「おかあさん」スロベニア語でおばさんを意味する「テタ ツ(Teta Tsu)」というニックネームで呼ばれていました。彼女の講義は新聞でも取り上げられましたし、日程を変更して一日一回のところを2回行うなど大人気でした。リュブリャナ旧市街にある4つ星ホテル、「ウニオンホテル」では1930年に「ジャパニーズイブニング」というイベントも行っています。

常子の人生を思う

様々な功績を残し、順風満帆に見える彼女のスロベニアの生活。しかし1933年には息子マシューを、1947年には夫イヴァンを、そして1958年には娘のエリカが亡くなります。その悲しみはどれほどだったか。

そして1919年に彼女の母を訪ねて以来、日本に帰ることはなく1963年にスロベニアのリュブリャナで生涯を終えます。当時のスロベニアで一から言語、文化を学び、現地の人に慕われ、看護師として働き、講師として日本と旧ユーゴスラビア、スロベニアの友好関係を築いた常子。

亡くなった時は国葬がおこなわれ、遺体は今もジャラという、スロベニアの偉人たちが眠る墓地に埋葬されています。

常子、マシュー、イヴァンが眠っているお墓(写真:ウィキペディア)

また2度、しかも外国人と結婚をしたり、外国語をマスターし(中国語、ドイツ語、スロベニア語をマスター)、看護師の傍文化を伝える活動を行っていた常子は、当時の日本女性、またはスロベニア女性の普通から考えたらとてつもない女性だったことはいうまでもありません。

常子が才女であることは間違いないけど、やはりそれだけではここまでは来れないと思うのです。自分の才能に奢ることなく努力を重ね、日本人というルーツなど自分にあるものを活かし、自分にできること、目の前のことを一生懸命になって邁進して、文化の違い、ショック、悲しさ、怒りを乗り越えて生きてきたんだろうと思うのです。

なかなかできることではありません。

特に今はコロナウイルス のおかげで考えもしなかった事態が起こっていますが、常子のことを考えるとそうも言ってられない。しっかりしなきゃと思うのです。

こう言った女性に、まさか時を経て、スロベニアで会えるなんて。

常子に、そしてスロベニア民族博物館に感謝です。