ルイス・アダミッチ【スロベニアの移民文学最大の作家】

ルイス・アダミッチ【スロベニアの移民文学最大の作家】

コアな話題ですが、ルイス・アダミッチ(Louis Adamič)をご紹介いたします。

彼は、1898年スロベニアのグロスープリェという街に生まれました。時はスロベニアがオーストリア・ハンガリー帝国に支配されていた時代です。帝国支配下において、それを支持する者もいれば反対する者もいました。

彼は、南スラブ人で独立しようという意見に賛成で、実際そういった政治運動に参加し、罰を受け学校を退学させられます。その時なんと13歳。両親はなんとか学校に入れようと苦心しますが、彼は拒否し、15歳でアメリカに渡ります。

彼はその時英語がわかりませんでした。しかし、カリフォルニアでクロアチア人コミュニティーに入って、肉体労働をしたり、第一次世界大戦の時はアメリカ側に立って参戦。そしてニューヨークに移り、移民後16年後に本を出版し、成功を収めます。

故郷スロベニアへ帰国

彼は生涯で2度、スロベニアを訪れています。

1回目は1932年。この時、のちのユーゴスラビア政府の主要メンバーとなる、チトー、エドワード・カルデリ、ボリス・キドリッチらと会い、当時のユーゴスラビアの状況を把握し、アメリカへ帰った後、その状況を記事などでメディアに発表。当時のルーズベルト大統領にも支援をお願いしたり、いつも故郷を気にかけていました。

2回目は1949年。スロベニアを訪れた時は、今度はチトー達の政権の危なさに気づき、それを本にもしています。1度目の帰国から17年立ち、最初の試みとは違った政治方針や戦後の状況に違和感があったのかもしれません。

多文化のアメリカで移民として

また、アメリカで移民として自分ももちろん、彼らのアイデンティティーの問題やアメリカの多文化構造、階級などの現実にも鋭く切り込み、今でも彼の記事は研究者たちに広く読まれているのです。

移民が抱える様々な問題を、彼は客観的にも主観的にも捉えることができたと思います。私もある意味で移民です。普段は意識しないですけど、どんなにスロベニアの文化を吸収しても私は日本人、外人なのよねって思います。そういうバランスはずっと変わらないんですよね。

最後

彼は53歳の時自殺という形で生涯を終えます。1951年のことでした。当時のアメリカは、共産党潰しにかかっていました。共産主義を支持する人、冷戦に反対する人たちは様々な権利を剥奪されたんです。「赤狩り」と言われています。ルイスはまさに赤狩りのターゲットでした。

故郷の心配、アメリカでの生活の不安、移民としてのアイデンティティ、彼には天才が故に心に抱えるものが大きかったのだと思います。亡くなった今、彼の心情は分かりませんが本当に残念です。

しかし、彼は正直に自由に自分の考え、思いを記しました。間違いなく、最も成功した移民として渡ったスロベニア人作家です。

彼の著作を一冊でもいいので読んでみたいですね。

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