宣教師そして研究者であったイグナチイ・クノブレハル(Ignacij Knoblehar)。彼は1819年ノヴォメストにあるシュコツィヤンという村に生まれました。
彼はローマで宣教師としての教育を受け、1848年にアフリカのスーダンへ渡りましたが、彼は宣教師としてではなく、研究者として偉業を成し遂げた人です。
研究者としての功績
彼は1848年から10年ほどスーダンで宣教師として向かい、南スーダンの白ナイル川の近く、ホーリークロスとゴンドコロという場所に2つの宣教の場所を構え活動します。そこで彼は様々な調査や研究を行います。なんとウィーンの地理協会も彼へ研究道具の支援をし、当時からするととても質のいい道具を使えたようで、ナイル川の測定など細かく調査しました。
そして1854年、白人で初めて北緯4度10’に到達した記録を打ち立てたのです。
当時ヨーロッパの各新聞で彼の調査が取り上げられ、その後興味深い彼のナイル川の調査は研究に何度も利用されるようになるのです。彼の研究は、後にスエズ運河建設者のフェルディナンド・レセップスや、ドイツ人自然主義者アルフレッド・ブレフム、アメリカ人研究者ベイヤード・テイラーによって評価されています。クノブレハルは19世紀においてナイル研究の第一人者と言えます。
宣教師としての活躍
宣教師としての彼のミッションはキリスト教の布教でしたが、彼は多神教の信仰を持つ黒人部族に苦心しました。また奴隷貿易関係者や他のヨーロッパの商人からも邪魔が入ったようです。したがって、宣教師としては、研究者程の業績はあげられなかったのですが、彼はナイル川周辺に住む様々な部族と交友を持っていて、特にバリ民族と多くの時間を過ごしました。彼らの言語の辞書を書いたり、彼らの文化に興味を持ち、黒人の奴隷貿易に対して反対の声をあげていたことがわかっています。
1850年に一度祖国に帰り、200にもわたるバリ族や他のナイル川の部族たちのコレクションを持ち帰り、それらはリュブリャナの博物館やウィーンの博物館に寄贈されました。
当時、数多くの宣教師はスーダンでマラリアによって命を落としていました。彼も他の宣教師たちと同じく危険と隣り合わせの中、研究を行ったのです。彼もスーダンから帰国後、病に苦しみ、39歳の若さでこの世を去りました。
残念なことですが、彼の調査やコレクションは時を経て私たちに届いています。
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