皆さん注目のワールドカップ、わが日本はスロベニアの隣国クロアチアに敗れてしまいましたね(スロベニアはワールドカップに出場していません)。
フランスとの接戦を制し、優勝したアルゼンチンの熱狂はすごかったですね。その夜プレシェーレン広場で、アルゼンチンの勝利をお祝いするグループに遭遇しました。スペイン語で何か歌を歌っていましたが、そのピュアな光景にグッとくるものがありました。
意外な事実かもしれませんが、スロベニアとアルゼンチンの関係は希薄なものではないんですね。
大きく3回に分けて、一回目は1900年代、2回目は1930年代、3回目は第二次世界大戦後に多くのスロベニア人がアルゼンチンへ移民していたのです。
スロベニアからの移民
最初の移民は経済的な理由で、おもにハンガリーに近いプレクムリェの方、またはハンガリ-系スロベニア人と呼ばれる方が移民しました。19世紀後半から20世紀初頭といわれています。
アルゼンチンは肥沃な土地に恵まれ農業が発展し、およそ1860年から1930年までに急速な経済発展を遂げ、国民所得が世界一位、1913年にはカナダやオーストリアを抜くほど裕福な国でした。
1930年台に、スロベニアはナチス、イタリアのファシストから攻撃をうけ、そこから救うためのパルティザン軍(旧ユーゴスラビアで組織された軍隊で共産主義の思想を持っていた)がゲリラ戦で戦うという悲惨な状況でした。この時、イタリアの支配から逃れるため、そして戦争後は自国の共産主義に反対した人たちがアルゼンチンへ渡ったといわれています。
多くのスロベニア人はブエノスアイレスにいるそうで、現地にはスロベニアのコミュニティーセンターがあり、スロベニア語を話す数少ない機会が設けられ、スロベニアの文化を学べる場所もあるそうです。
どうしてアルゼンチン?
19世紀のアルゼンチンは、ヨーロッパからの移民を歓迎する政策を掲げました。アルゼンチンの経済発展を支える労働力確保が目的で、移民に対する税金も免除するなど積極的に白人の移民を受け入れ始めます。原住民(アボリジニともよばれます)がいたアルゼンチンへ、文明が発展した国からの移民を受け入れることで、先住民の古い文化的要素を排除し、人口発展、経済発展を進めようとする政策があったためといわれています。
しかし、結果的に白人系移民は増えましたが、当時の政府が求めていたようにはいかなかったようですね。結局、アルゼンチンは南米の国々の中で最も白人系が多い国となっています。
スロベニアから来た移民は少ないほうですが、イタリア、スペイン、ポルトガル、クロアチア、ギリシャ、ドイツ、デンマーク、スウェーデンなど本当にヨーロッパ各地からの移民した方々がいました。
ちなみに今回アルゼンチンを優勝に導いたメッシ選手の家族はイタリアやスペイン系移民の血を引いています。
後にアジア系の移民も迎え入れ、とにかくアルゼンチンは移民に「優しい」国なのですね。
スロベニアへ戻ってくる人たち
しかし、アルゼンチンは今やもう世界の経済大国ではありません。最初に移民した方々の孫の世代、第3世代の方たちは、新たな可能性を求めてスロベニアへ「戻る」人たちがいます。
今現在リュブリャナに住んで一年弱のステファニア・レベルさんの興味深いインタビューを見つけました。スロベニア人の祖父母、両親をもち、スロベニア語が流暢。彼女がいうアルゼンチンとスロベニアの違いがとっても興味深かったです。
またブエノスアイレスは様々な博物館、美術館、コンサートやイベントでたくさんでもっと活気があるそうです。色々な移民がいるので、多国籍なレストランも山ほどあり、選択肢も多いそうです。まさに大都市なのですね。しかしながら、安くて楽しめるというわけではなく全てにおいてお金がものをいうそうです。また、仕事も朝7時ころに家を出て、夜8時に帰ることも普通で地元のアルゼンチンの人はあまり自由時間がないそうです。また国内旅行をするにもリーズナブルにできるわけではないそうです。
そして社会格差がものすごく大きいそうですね。裕福で贅沢を楽しめる人がいる一方で、貧困で苦しむ人がめにつくそうです。そういった格差をスロベニアで見ることはないと彼女はいい、また安全だとも言っていました。
他にはリュブリャナの小ささ、交通の少なさ、そして仕事が4時ころに終わるというのもびっくりだそう(笑)。
今スロベニアで得る収入だったら、アルゼンチンでは豊かに暮らせるといっていました。ちなみに彼女は歯科衛生系のしごとをしています。
南米というだけですごく陽気な先入観があったので(本当にすみません)面白く読ませていただきました!
最後にインタビュアーの方が、どのくらいスロベニアへいるのかを聞いていまして、彼女はわからないと答えました。
「アルゼンチンの人は今までいろいろな情勢が急に変わってきたし、もともと長いスパンで物事を考えない。今日とか5日後のことくらいは考えるけど」とのこと。スロベニア語がぺらっぺらで両親、祖父母もスロベニア人ですが、心はアルゼンチンにあると断言してました。友達も家族もみんなアルゼンチンいるというのが第一の理由だそうです。
ワールドカップで発見できたことですが、本当にスポーツは国境を越えて世界中を一つにする力があるなーと感動した一夜なのでした。
コメント