スロベニアの民族衣装の一つであった被り物について

スロベニアの歴史
ゴレンスカ地方のアヴバを身に着けた女性 (https://sl.wikipedia.org/wiki/Avba)

民族衣装の一つ、「被り物」についてお話しします。そもそも被り物というのは寒さ、暑さ、日差しから顔周りを守ったりするものですよね。しかし、その被り物はそういった基本的な役割に加え、素材や身に着け方で自信を表現するアイテムのひとつでした。

被り物というのは、アクセサリーなどのようにプラスアルファで身に着けるものですよね。昔の時代はそういう物こそその人のおしゃれや身分というのものを表しました。

ましては今のようにヘアスタイルをスタイリング剤、パーマ、カラーリングなどで頭のアレンジが自由自在にできなかった時代は、より被り物の大事さが大きかったかもしれません。

今回はスロベニアの民族衣装の被り物、ペチャとアヴバをご紹介します。

 

ペチャ(PEČA)

子供用のペチャ(https://www.etno-muzej.si/sl/digitalne-zbirke/vipava/f0000015233)

ペチャは民族衣装の中で一番最初に利用された被り物の一つです。髪の毛や顔周りを覆うようにつける、言ってしまえば布です。ペチャは中世後期から様々な階層の女性が身に着けていました。19世紀前半までは、スロベニア農家の大半の女性はこのペチャを身に着けていましたが、身分の高い女性はペチャに代わって帽子を身に着けるようになっていったそうです。モードの変化が始まったころですね。

19世紀中ごろには素材やシルク、ウールまた綿でできたカラフルなペチャが出てきまして、1880年代には白いこれまでのペチャは日曜日や祝祭日のみに身に着けあれるようになりました。その頃には伝統的な、これまでのペチャは逆に価値がある特別な時に身に着けるアイテムに変化していったのです。農家の女性や少女たちはカラフルな被り物を、街の女性たちは帽子を普段身に着けるようになっていくのですね。

1870年代には産業が発達し、モードにも変化が現れます。より安価に同じパターンの洋服が大量生産することが可能になっていきました。ペチャにおいては、モスリンやチュールといった素材で生産されるようになり、街や広場でのセレモニーなどの行事で着用されるようになります。女性たちはペチャの身に着け方もただ巻くだけではなく、てっぺんにボリュームをもたせてまるで鶏のトサカのようにみえる「ペテリン(スロベニア語で雄鶏)」スタイルを確立し、これが民族衣装として今も語りづかれています。まさにスロベニアのみでみられる民族衣装の特徴なのです。

ペテリンスタイル (https://www.etno-muzej.si/sl/digitalne-zbirke/fran-vesel/semn-0001491a)

第1次、または第二次世界大戦にはペチャは花嫁、結婚式のゲスト、洗礼の時に身にける被り物として使用され、19世紀の終わりにはペチャは主に年配の女性が、祝祭日に着けるようになっていました。

 

アヴバ(AVBA)

錦織のヘッドバンドがあるアヴバ。1950年代の写真です(https://www.etno-muzej.si/sl/digitalne-zbirke/sentjernej/f0000009011)

これは女性だけではなく、男性や子供もみにつけていた被り物で、そのスタイルで身分がわかるものです。身分の高い人はアヴバをルネッサンス時代、または中世後期から19世紀まで、農家の人は19世紀中ごろ、そして第二次世界大戦のころまで身に着けていました。19世紀後半から今まで民俗音楽のコンサートや歴史的なイベントなどで民族衣装としてこのアヴバは着用されています。

少なくとも19世紀中ごろには既婚者と独身女性、身分の違いもわかるように形が変化しました。それ以降はそういった要素はなくなっていきました。

アヴバの形は柔らかいものと硬いものがあります。柔らかいというのは、その作り方にあり、まるで帽子のようなアヴバで、硬いというのはトップにボリュームのあるアヴバのことを言います。このボリュームをつくるのに、中に硬い型紙を入れていたことからこう呼ばれています。

18世紀の終わりごろには農家の女性の間でトップにボリュームがある形のアヴバが着用されだしました。最初は下にペチャを身に着けていましたが、19世紀後半にはそのまま直接身につけられていたそうです。中でも華やかな農家の女性のアヴバはアルプス地方のものだったそうです。地域はゴレンスカ、シュタイリア、ドレンスカ、プリモルスカ地方ととても広範囲です。

このアヴバは額の当りを巻く部分とトップの部分に分かれています。トップに膨らみを持たせるには硬い紙をいれて好みの形に作ります。額のあたりは、黒、錦織そしてゴールドの飾りがつけられています。ゴールドのものは、特別な時に1830年代の裕福な農家の女性が身に着けていて(街の近くに住んでいたそうです)その後は結婚式、イースター洗礼などの儀式のときに身につけられていたそうです。

 

 

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