勇敢なリュブリャナの女性たち

スロベニアの歴史

この銅像の意味わかりますか?スロベニア語がわかる人なら一目瞭然なのですが、これは第二次世界大戦中のリュブリャナの勇敢な女性たちを記念するために作られた銅像です。

ここで1000人以上のリュブリャナの女性たちが、イタリア軍が行っていた拷問、死刑などの暴力に抵抗するために7回もプロテストを行ったのです。それは1943年のことでした。

リュブリャナは1943年までイタリア軍に占領されていました。パルチザン軍が根気強く戦う中、イタリアはさらに厳しい攻撃を開始します。まず2メートル、距離およそ35kmの有刺鉄線フェンスを作りリュブリャナ市民を閉じ込めました。それは1942年の2月に1日で、突然行われたことです。

そして反イタリアの人たちを逮捕、秘密警察署へ連行し、拷問、そして銃殺刑にしていて、それによって夫や息子を失った女性たちが集まりプロテストをしました。

実際イタリア軍の基地となっていた場所に直接集まった女性たちは勇敢以外の言葉が見つからないほどすごい人たち。

毎週水曜日に!という合言葉で最初は少数だったメンバーが増えて、1000人以上が参加したプロテストとなりました。

1943年はイタリア軍勢力が落ち、降伏します。したがってようやく解放されると思った市民でしたがすぐにドイツ軍に占領され、暴力はよりひどくなるのです。この鉄線は戦争終了まで撤去されることはなく、市民がその周りを歩くレクリエーションイベントとして戦争の歴史を語り継いでいます。

どこの世界もそうですが、第二次世界大戦は世界中が悲惨な事態にあった戦争でした。しかしながらスロベニアで何があったのか、多くの人が知りません。

スロベニアは大国の影に隠れ、大国の犠牲になり、また同じ国の人たちとも戦うことになった全面戦争をおよそ4年半経験しました。その後社会主義国となったわけです。

リュブリャナに来てこの像を見ることがあったら教科書では教えられない史実を思い出して欲しいですね。

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