スロベニア人民解放戦線記念日

スロベニアの歴史

4月27日はスロベニアの祝日、解放戦線記念日です。スロベニア語ではOsvobodilna fronta slovenskega narodaと言います。これは、1941年、占領軍からの解放を目的として第二次世界大戦中の4月26日に首都のリュブリャナで結成されたグループです。スロベニア共産党員、キリスト教社会主義党(krščanski socialisti Slovenije)、ソコル(Sokol)と文化人のメンバーで結成されました。

実際グループが結成され場所です。記念碑が立っています。

1941年の4月6日ドイツから爆撃からユーゴスラビアは第二次世界大戦に突入しました。この攻撃はなんの報告もなくいきなりで準備ができていない状態だったため、政府関係者はロンドンへ亡命。市民は取り残されてしまい戦争に突入することとなりました。旧ユーゴスラビアの国土は速やかに占領軍に占領されます。ドイツ、イタリア、ハンガリー、そしてクロアチアがナチスの思想を元に作った傀儡国家にスロベニアの領土は占領されるのです。

スロベニアは左端で、グレー部分がドイツ、黄色がイタリア、緑がハンガリーに占領されていることがわかります。

スロベニアは非常に複雑な状況で、第一世界大戦後オーストリア帝国が崩壊し、現在のポストイナまではイタリア領でしたし、コロシュカという北の地域はオーストリア領になっていました。残りの国土がユーゴスラビアになっていたんです。

1941年4月26日にアドルフ・ヒトラーがスロベニア第二の街、マリボルへ訪れ「もう一度この土地をドイツにせよ」と演説しました。しかしスロベニア国民が一丸となってドイツに対し抵抗の気持ちがあった訳ではないようです。なにせスロベニアは1918年にユーゴスラビアになる前はおよそ500年オーストリアハンガリー帝国の一部として、教育、科学技術、芸術などドイツの恩恵を受けていましたし、公用語はドイツ語で多くのドイツ系少数民族がコチェウエや北部スロベニアにいましたし、ドイツ人も都市にはいました。

しかし占領軍はどんどんスロベニアを分断していきます。この解放戦線グループはスロベニアを守るために行動を起こすのです。政治的な組織を作り、軍事的にもゲリラ戦を組織します。だんだんとスロベニア共産党が大事な役割を担い、パルチザン軍を組織し第二のユーゴスラビアに向かって行くのです。文化的な面でも教会での賛美歌をスロベニア語にしたり、秘密に母国語のレッスンを行ったり、劇や詩、違法なラジオや広告をスロベニア語で作り続けスロベニアを維持し続けました。

第二次世界線ではパルチザン軍が勝利する訳ですが、すっぱり平和に行った訳ではありません。共産主義に反対した人々、占領軍を支持、または協力した人は粛清を受けるなどしました。しかしそう行ったことは秘密に隠されて第二のユーゴスラビアがスタートした訳です。結果多くの犠牲者や今も消えることのないトラウマや憎しみが残されることになりました。今現在、やっと公に語れるようになったのです。今でもスロベニアでは第二次世界大戦の時にできた傷がヒリヒリとしているわけです。

本当にスロベニアの歴史は複雑で重厚で奥が深いです。全てが白黒で治るものではなく、国民の英雄は見る人によって違ってきます。本当に語りつくせないくらい重厚です。

コメント

  1. […] 労働者の権利を祝福する日という重みは今では少し薄れて、連休を楽しむ時期というのが現代の過ごし方です。この4日前には人民解放記念日という祝日があり、学校では1週間授業が休みになり、親たちは有給をとり旅行に出かける家族が多いのです。 […]

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