欧州戦線終戦記念日

1950年の5月9日は第二次世界大戦の欧州戦線における終戦日です。スロベニアではそれを記念するイベントが毎年行われています。第二次世界大戦中のスロベニアはとても複雑な状況で、簡単にいうと、現在のスロベニアの国土はドイツやイタリアに占領されていました。1941年リュブリャナはイタリア軍に占領されまして、人民解放戦線の中心となった場所です。

イタリア陸軍の占領

イタリア陸軍はリュブリャナに有刺鉄線の要塞を作ります。それは今現在の旧市街を含む中心部を囲む形で、およそ35キロメートルに及ぶ距離です。中心部は1942年からおよそ3年も封鎖されていたのです。イタリア軍の目的は内外からの攻撃からリュブリャナを守ること、リュブリャナで強力な反対勢力の対抗に圧力をかけること、街やその周辺の間の重要な物流を止めることなどで、リュブリャナ市民、パルチザン軍などに大きなダメージを与えましたし、多くの人が命を落としたのです。

サークル状になっています。

リュブリャナが抵抗運動の中心に

戦前からリュブリャナは電子機器や印刷など様々な部門の中心となっていました。有刺鉄線で封鎖された状況では許可証がないとリュブリャナ中心へ来ることができません。しかし、パルチザン軍による占領軍の解放運動は組織され続け、彼らは解放運動をしながら、怪我をした人たちの救済に努めます。

パルチザン軍は各地に組織されていましたので、占領軍に対抗するため、スロベニア人の自由を勝ち取るため、主にスロベニア共産党による人民解放戦線やパルチザン軍が作られ、ゲリラ戦となり結果多くの犠牲者を出したものの勝利し、第二次ユーゴスラビアとして歩み始めたのであります。

リュブリャナでの式典

したがって、今日のイベントでリュブリャナ知事のヤンコヴィッチ氏は、パルチザン軍の功績をたたえています。

サングラスをかけた中央の人がヤンコヴィッチ氏

しかし、共産党の思想に反対する人たち、イタリア軍やドイツ軍へ協力した(してしまった)人たちはユーゴスラビア政府から厳しい粛清を受けるなど、非常に暗い、今やっと公に語れる出来事が数多く生まれたのです。おそらく、このイベントも旧ユーゴスラビア時代はパルチザン軍の功績を讃える理由として、素晴らしい意味を持っていたのだと思いますが、彼らに殺された、罰を受けた人たちからすれば非常に受け入れがたいものなのではないでしょうか。

パルチザンコーラス隊のユニフォームを着た方々

結果ユーゴスラビアは崩壊し、共産主義から資本主義へ移行し、スロベニアはイタリアやドイツと協力関係にあるのですから。

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