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上流階級陣営(meščanski tabor)

スロベニアが占領されたときは、彼らの反発するだけのまとまった強力な陣営はありませんでした。ユーゴスラビアがバラバラになり、イタリア、ドイツ、ハンガリーそれぞれのやり方でスロベニアが統治されるわけですからもうお手上げ状態だったのかもしれません。

もちろんスロベニアには伝統的な政治政党がありました。今の現政権のスロベニア人民党(SLS:Slovenska ljudska stranka, SLovenina People’s Party)はその一つでしたが、ドイツの攻撃を受け主要メンバーは移民します。その他の政党も同様です。つまり政党のトップが外国からスロベニアに残った政治家たちに影響を与えていたのですが、それは正直多大な影響力を与えるものではありませんでした。

すでにパルチザン軍、人民解放戦線が組織されだした頃、やっと1941年秋(4月にスロベニアは占領されています)に伝統的な政党、上流階級の政治家たちはプログラムを作り出しました。彼らは簡単に言うとリベラルな思想を持ち、反共産主義でそして多くの市民が支持していた人民解放戦線が明言している武力での対抗に反対していました。彼らはロンドンのポイント(Londonske točke)と呼ばれるプログラムを発表します。

簡単に言うとスロベニアをユーゴスラビア内で平等、自由を保った状態を維持し、ユーゴスラビア一体となって経済なども立て直すと言う、とっても壮大もの。

しかしながらこのプログラムはうまく機能せず、イタリアに占領された首都リュブリャナで1942年の4月、Slovenska zaveza(直訳してスロベニアの証)と言う組織を作ります。しかしながらプログラムはロンドンのポイントとほぼ似通ったものであり、現実的な解決には結びつかなかったようです。

さらにはスロベニアをドイツ帝国の自治区の一つと見ようとしたり、イタリア占領軍の枠組みで捉えようとしたりするなど、まるでスロベニアはどうなるのか逆に困ってしまうような複雑なプログラムを発表します。

そうこうしている間に、人民解放戦線、(OF:Osvobodilni front)が市民の支持を得て、凄まじい団結力でスロベニアを統一していくのです。

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