Pod Trančo (ポッド トランチョ)

くつや橋をお城側の方へ渡るとポッド トランチョという小道へ繋がります。面白い響きですが、直訳で「トランチョの下」という道です。今はワインショプや可愛い雑貨屋さんがあったり、向かい側にはティーハウスもあるので人の通りが盛んです。しかし、実はくらい歴史がありました。

中世リュブリャナの刑務所&拷問場所。。。

15世紀までは街の要塞が立てられていた場所は、刑務所また拷問が行われていた場所です。今はお店になっている一階は通り道でしたが、2階は刑務所または受刑者の住まいでした。そもそもトランチャは古いドイツ語で刑務所という意味があります。なんでこの名前がついたのか納得ですね。

この建物は完全に閉じられていました。中には死刑宣告される受刑者もいて、当時は首をはねられたり、絞首刑になったり、火あぶりの刑の宣告もありました。

受刑者はここに閉じ込められ拷問を受けましたが、中には魔女と宣告された女性もいました。泣き声や拷問によるうめき声も聞こえてきたそうです。

3つの主要広場をつなぐ大事な場所

しかしながら興味深いのは、この中世の刑務所がNovi Trg、Stari Trg、そしてMestni Trgをつなぐ交通路だったということです。まさにポッド トランチョはStari TrgとMestni Trgの境目にあります。そしてこの3つの広場は中世を代表するリュブリャナの場所ですので、商売人がここへ集い、野生肉、魚介類、果物などを売りさばいていたそうです。

また日本でいう、運び屋さんもいました。どいうことかというと、当時は道に泥、汚物があってある小道は膝まで浸かってしまう場所もありました。運び屋さんはここに部屋を取り、身分の高い人を運ぶために働いていたのです。

当時はしっかり舗装されていないわけで、清掃も年に数えるほどで衛生状態はとっても悪かったそうです。身分の高い人は馬に乗って移動したり、馬車を使ったり、中には竹馬のようなもので移動する人もいたそうです。

確かに少し薄暗い場所にあって、非常に暗い雰囲気がある場所だとは思ってましたが、街の主要な広場をつなぐ場所にわざわざ刑務所を作るなんて、当時の街設計にはうなされます。

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