【竜の橋】ドラゴンブリッジ〜リュブリャナのシンボル〜

観光スポット
🐲

みなさん、リュブリャナの紋章にもリュブリャナ城に立つドラゴンが描かれているように、ドラゴンがリュブリャナのシンボルだってご存知でしたか?そのシンボルに会える場所がドラゴンブリッジです。

この橋の両端に2頭、合計4頭の大きなドラゴンが立っています。このドラゴンを撮影しないことにはリュブリャナに来たとは言いづらいかもしれませんね!

リュブリャナ初のコンクリート建築&アスファルト舗装の建築

もともとドラゴンブリッジがあった場所にはナラの木で作られた、「肉屋橋」という橋がありました。しかし1895年の4月14日に起きたリュブリャナ大地震によって崩壊してしまい、このドラゴンブリッジが作られました。またこの橋はリュブリャナの中央駅へつながる橋なので、再建は必須任務でした。

オットー・ワーグナー氏に師事した、ユーリ・ザニノヴィッチ氏が橋をデザインし、当時ヨーロッパで流行したアール・ヌーヴォースタイルに美しく仕上げられた橋は、およそ34メートルの長さで当時のヨーロッパで3番目に長く、スロベニア初のアスファルト舗装路がある橋となりました。

橋にはガスランプも設置され、当時の建築技術を総合した建築といってもいいのではないでしょうか。天然の材料や青銅など高く重いので安値で実用的、または合理的な素材を利用し、再建されました。

ドラゴンブリッジになったのは後のこと!

建設工事が終了し、橋が開通したのは1901年です。しかしその時ドラゴンがあった場所には羽のついたライオンが立っていました。橋の名前も「Jubilee Bridge」と名付けられ、当時のオーストリア・ハンガリー皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の即位40周年記念をして建てられた橋でした。その証拠に橋の側面には1848−1888と書いてありますね。よく、これは橋の建築年などに関係しているのかと聞かれるのですが、全く関係ないことがわかりましたね(笑)

しかし1918年第一次世界大戦後オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、スロベニアは帝国の一部ではなく、ユーゴスラビアを構成する共和国の一つとなりました。その後オーストリアの影響を写すJubilee Bridgeから、リュブリャナ色をより強くする、市の紋章にも描かれ街のシンボルとなっているドラゴンをライオンの代わりに設置し「ドラゴンブリッジ」と呼ぶようになったのです。

ガイドブックには4頭の竜がいるとありますが、それは嘘で実際に橋を渡った人にしかみえない小さな竜が何頭もいます。何頭いるのかは、皆さんの目で実際に確かめていただきたいので、ここでは回答を控えさせていただきますね。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました