前の記事で、スロベニアの民族衣装の種類やその違いがなくなり、どんどん違いがなくなっていったよ、ということを書きましたが、ここでは少しその推移を詳しく書いていきたいと思います。農家の人の衣装、コスチュームなどをみていけたらとおもっています。
ゴレンスカ地方のアルプススタイルの民族衣装から統一は始まった!
ほとんどの人口が農家で会った時代のスロベニアの民族衣装の前の記事で見てまいりました。工業によりパターン(洋服の形)が都市部と農村部で統一されてきたと記しました。これが19世紀中ごろのことでした。
19世紀前半には、スロベニアで自国の民族のアイデンティティーを示す運動(スロベニアはおよそ500年にわたりオーストリア=ハンガリー帝国の支配をうけており、母国語をはじめとするスロベニア(人)としてのアイデンティティーを確立する運動が政治的にも文化的にも起こった時代です)が起こり、国民は積極的に民族衣装を着用し、それと主に衣装も国内で統一されていきます。
都市の人はドイツ、オーストリアのモードや流行の影響を受けていましたが、農家の人々は直接的に外国の影響を受けなかったかったので、農家の衣装こそスロベニア風だ、というわけで非農村部の方も農村で生まれた衣装を身に着け始めたそうです。しかし、そのまま農村部の衣装をコピーペーストして着用したわけではなく、しっかりとアレンジを加え、スロベニアらしさが生み出されていきました。
アルプススタイルの民族衣装から発展したスロベニアの民族衣装
スロベニア民族衣装第2章の幕開けとなるのが、最も裕福なゴレンスカ地方のアルプススタイルの民族衣装から始まりました。この衣装のパターンは中央ヨーロッパ地域と似ているそうで、これを基に改良された素材、色、きらびやかなアクセサリーを加えて独自のユニフォームを作り上げていきました。
特別な職業や社交の場以外ではこういったユニフォームは普段着用することはなく、コスチュームまたは晴れ着として着用していたので、特別な要人を招いたり、とても大事なイベントの時などに人々は衣装を着用しスロベニアを示すアイテムとなっていったのでした。
女性の衣装
女性の衣装は、白のブラウスをきて、シルクのカラフルな胸が開いたワンピースに(緑、青、赤、茶色など)黒いエプロンをし、右側にハンカチをはさみます。スカートの中には、ウンタリというペチコートを2枚はくのですが、これはスカートに広がりまてゃあボリュームを持たせるためのアイテムで大事なアイテムだったそうです。そして腰のあたりにスクレパンツと呼ばれる金属ベルトをします。そしてルタと呼ばれるスカーフを肩にかけるのですが、子供は腰より少し長めに身に着けます。そして既婚女性はペチャ、またはアウヴァとよばれる被り物をし、独身女性はスカーフを頭に巻いていました。
日本の振袖と同じで、女性は独身か既婚かが外見で分かってしまっていたのですね。
男性の衣装
男性の衣装はよりシンプル。イルハと呼ばれるひざ下のズボンに、ひざまでの長さのロングブーツ、シャツにベストにハットで完成。ベストの下には、女性と同じようにルタとよばれるスカーフを肩に身に着けていて、少し裾がみえるようになっています。
リュブリャナから発展したもの - 黒い衣装
アルプススタイルの民族衣装の発展と同時期に、首都のリュブリャナでもスロベニアの民族衣装の形成が見られました。それは「Črna noša」(黒い衣装)と呼ばれ、その名の通り黒がふんだんに使われた衣装なのです。
1870年代から女性は、光沢のある黒の衣装を身にまとっておりました。衣装は、洗礼などの宗教的な祝祭日、後に民族運動などで身に着けられました。黒のスカートにカジュアルなブラウス、そして昔の民族衣装のアクセサリーをプラスしていました。これは上にも書きました民族衣装と同じように、スクレパンツとペチャはもちろん、各自ブローチやイヤリング、ネックレスなどを付けていました。
個人的にユニークなのはペチャのスタイルです。これはスロベニア語で「雄鶏Petelin」といわれるのですが、まさに白いスカーフを雄鶏のとさかのようにしたて頭にかぶるスタイルなのです。とてもユニークだと思います。
男性の場合は、ほぼ現代の様式に似ています。長い黒ズボンに、シャツ、黒いハットにベストといった装いでした。男性女性とも、お金持ちの家の人はチェーン付きの時計を持っていたそうです。
都市の人の民族使用の着こなし(20世紀)
なにが正しいスロベニアの民族衣装なのか、またその決まりが定まって行くのは20世紀のころです。基本的な衣装の要素に、前は例外的であった要素や都市の人が使用していた小物、コレクションが衣装の一部となっていったのです。
例えば女性の場合、頭にする被り物では、アウヴァにゴールドの飾りをつけるようになったり、18世紀の民族衣装ではスカーフをそのままつけるだけだったのが刺繍されているスカーフを雄鶏ふうにしてみたり、スクレパンツ、レースのハンカチ、イヤリングやブローチなどのジュエリーなどが衣装に付け加えられました。男性だったら、ひざ下ズボンに白の下着、ベストで隠れてしまう方にするスカーフ、長いチェーンがついた時計に、たばこのパイプなどといったものです。
こういったジュエリーや装飾品は昔は衣装に取り入れられなかったものです(農家の方々は手に入れることがむずかしかったでしょう)。二つの世界大戦があった20世紀前半から中盤にかけてこういったルールが決まっていきました。
しかしながら、戦後民族衣装の役割や意味は変わっていきます。いうまでもなく昔と比べて着用する人や機会はめっきり減り、フォークロールのイベント、劇場での民族音楽を演奏するとき、祝祭日などの時に着用されるのみとなっています。そして人々の意識の中で民族衣装というのは、ベラクライナ、プリモルスカ、またはカリンティアの衣装という、地域別での認識にもつながっているのです。これは、19世紀の前半に地域別で生まれたそれぞれの衣装の特徴から派生したものです。
小さいスロベニアでも地域ごとに多様性はあり、国境に接している地域だとよりスロベニア国民としてのアイデンティティーを衣服でも示すことができるのですね。
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