旧ユーゴスラビアにあって今はなくなってしまったもの。色々ありますが、その一つに青年の日という祝日があります。
青年の日(Dan mladosti)は1945年から1987年までの5/25に旧ユーゴスラビアのみにあった祝日で、この日は国をあげての大イベントでした。どういったことをお祝いするのかというと、総裁のお誕生日と若者、青年たちへのお祝いなわけですが、そのスケールの大きさがすごいのです。
この日にやることは、選ばれし若者が、シュタフェッタ(štafeta)というオリンピック前に行われる聖火リレーで使われている松明のようなバトンを、当時の首総ヨシップ・ブロズ・ティトーに手渡し、お誕生日の言葉を言うというイベントで、とても学生の間では名誉なことだったといいます。その他には国中の若者は街を行進したり、スタジアムではスポーツ競技や音楽が演奏され、国民はテレビでその様子を毎年見るという壮大な祝日でした。
このバトンをつなぐリレーは祝日の1ヶ月前、4月から始まります。
青年の日の始まり
最初は1945年セルビアのクラグイェヴェッツから首都ベオグラードまでの道のりを、12500人の若者たちは裸足でシュタフェッタをつないでいったのです。
すでにパルチザン軍から解放されたクラグイェヴェッツの若者がティトーへ感謝の印として、1500人の学生のサインが入った青い本をプレゼントしたことから始まったそうです。
1948年にはリュブリャナのリトストロイという場所でシュタフェッタが作られ、1951年にはそれを100万人以上の若者たちが128000㎞の道のりをつないだのです。その頃には、青年の日という名前はなくティトーのお誕生日をお祝いするという名目だったのが、1957年に青年の日と祝日名が決定し、若者へもお祝いをするという日になったのです。
終わりに
しかし若者のための祝日もティトー大統領の死をもって終わってしまうのです。まさにティトー大統領のカリスマ性で成り立っていた祝日だったのでしょうか。彼以外の人にバトンを渡すことは考えられない、変な違和感があったのでしょう。
個人的には、クレイジーな行事だなと思ってしまうのですがまさにこの時代に青春を過ごした方は、今でも鮮明に当時の気持ちを覚えているそうです。まさに青春の一ページだったのでしょうね。
旧ユーゴスラビアから独立して30年。人間でいうと、これから!というスロベニアですが、その発展を見守りたいと思います。
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