人民解放戦線(OF)

clear glass with red sand grainer スロベニアの歴史
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第二次世界大戦中、分断が進む中で人民解放戦線の組織が作られました。最初は反帝国主義戦線(Protiimperialistična fronta)と言う名前でしたが最終的に人民解放戦線(Osvobodilna fronta)と名前を変えスロベニアを統一して行きました(ここでは人民解放戦線と呼び名を統一します)。

上流階級陣営、または伝統的政党に反対する考えを持つ人々は新たに政党、団体などを作って組織していましたが、戦前は力を持った団体はなく、1930年代後半にやっと思想形成や政治的動きに重要な影響を及ぼす政党が出てきました。その中の一つがスロベニア共産党(KPS:Komunistična stranka Slovenije)です。KPSはレボリューション、革命、武装蜂起の思想を支持していて、彼らの影響はこの人民解放戦線にも大きく影響しました。

人民解放戦線の始まり

1941年4月26日にリュブリャナのライター、ヨシップ・ヴィドマルさんのお家で組織は始まりました。スロベニア共産党員がリーダー的な立場で、その他キリスト教社会主義党(Krščanski socialisti)やソコル(sokol:説明が難しいですが体育会系の団体だそう)、他の文化人たちがこの会議に参加したそうです。しかし、1ヶ月後には様々な団体がこのグループに加入します。

まず農家の団体、政党、労働者団体、なんと一部のSLS(政党の名前です)や上流階級陣営、伝統的な政党の一部のメンバーも参加することになるのです。

なんども会議を重ね人民解放戦線のゴール、目的を確認し発表します。上流階級の陣営もこの共産党もバラバラになったスロベニア人を団結させる、あるいは取り戻し元の場所へ返して、団結すると言う目的は共通だったと思います。抑圧されたスロベニア語やその文化を取り戻すという目標も同じだったと思います。

しかしこの共産党は、労働者や農家など労働階級の団結や強いつながりを作ることも目的、または使命に入れて積極的にそれを訴えます。正式に新聞で資本主義な人に反対するとも明言していますし、上流階級、伝統的政党、イタリア占領軍の支持者は裏切り者とみなす、と鋭く批判して行きます。

スロベニア共産党はソビエト連邦の思想を支持していました。当時は独裁者スターリンがボリシェヴィキの力で共産党勢力をひろげていました。また武装蜂起も支持しているわけで、非常に過激な印象を与えたかもしれません。しかし、今まで文化的、経済的にも抑圧、搾取されてきた人々はこの団体に参加し、勢力を拡大するのです。

ちなみに、上流階級陣営と人民解放戦線の間とも取れる思想を持つグループもいましたが、国民に響かずそこまで影響力はなかったそうです。結果として、この人民解放戦線グループが最大の勢力となり、4年間続いた第二次世界大戦を勝ち抜き、後の新生ユーゴスラビア(第二次ユーゴスラビア)を作ったのです。

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